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感傷マゾとかいう概念が最近あるらしくてなんかネットで読んだので思ったことを書きます。
でも、読んだと言っても途中でつらくなっちゃって流し読みなので
正しく理解できていなかったらごめんなさい。

https://note.com/kansyo_maso/n/n365a0a449a89
上記の表題のプリントに
「存在しなかった青春への祈り」
と書いてあって
たぶんこの「存在しなかった」っていうのが
感傷マゾを理解するうえで重要なんだと思う。

仮にここは「失われた」となっていたら
昔からよくある話になってしまうけど
「存在しなかった」と書いてある。

つまり彼らにとっては
あるべきものがそもそもなかった
という感覚なんだろうか?

「失われた」が古いオタクの感覚だとすると
青春は現実に存在して手に入れようとすればできた
もしくは手に入れてる人もいた
でも自分は手に入れることができなかった
そのことに対する憤りのようなマイナス感情があって
それを埋めるためにオタクコンテンツを摂取している。

一方で「存在しなかった」と感じてる彼らは
そもそも望むような青春が現実にはなかった
幻を追いかけていた
その虚しさみたいなものが感傷マゾという感情なんだろうか?

なんとなくイメージで言うと
道を歩いていてどんぐりが落ちてるのを拾わずに通り過ぎた後に
拾わなかったことを後悔してるのと
道の先にどんぐりが落ちてると思って歩いて行ったら
どんぐりが落ちてなかった
みたいな対比をするとわかりやすいような気がする。


今の30代40代が過去への埋め合わせとして利用してきたオタクコンテンツを
子供の時から浴びてきて夏休みは田舎でうんぬんが土台になってしまって
でもやっぱりオタクコンテンツは虚構だから土台が崩れたみたいなことなのかもしれない。
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