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!が重なってオシャレな感じ。
つまらんつまらんと聞いてたけどそんなにつまらなくはなかった。
でも、もう少し構成練ったほうがよかったんじゃないですかね。

まあなんで天使のほうが主人公より先に学園にいるんだとか
そういう細かい上げ足をとってもしょうがないと思うので
大きな不満点を書くと
サブキャラが多いとか
色恋沙汰が少ないとか
長い回想がちょくちょく入ってめんどくさいとかか。

サブキャラに関しては減らしたら減らしたで画面が持たない気もする。
枯れ木も山の賑わいと言うやつだろうか。

色恋沙汰は設定上やたら恋やら愛やらがあるとまずいってのはわかるけど
こういうアニメって色恋沙汰を期待して見る人が多いと思うし
よくわからん黒いの削ってその分サブキャラの恋愛でも書いたらどうだろうか。
メインヒロイン2人にしても
三角関係とかになるのかと思ったら全然そんなことないし
なんか知らんうちによくわからん愛に目覚めたりしてるし。

回想も必要なのはわかるけど尺を取りすぎじゃないか。

後は12-13話間にサブキャラが一掃されてるのとかも微妙。
半分くらいあの世界に残るやつらがいてもいいんじゃないか。

エロゲで個別シナリオがあってとかならいいかもしれないけど
アニメとしてはちょっとどうかなあ。
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まあケツの方3,4話飽きてちゃんと見てなかったんですけど。
簡単にまとめると
死ぬことが決まった子供達が何をするかのドラマの短編集
といったところなんでしょうか。
ジアースとはなんなのかだとか何のために戦わなくてはいけないのかだとかは
もしかしたら見所だったのかもしれないけど
死んで行く子供達にとってはどうでもいいことなんじゃないか。
僕はそういった謎は正直どうでもよく感じた。
そういった答えは生きていく人には必要かもしれないけど。
結局は神様の遊びのようなものだったようだし。
救いがないみたいなのが面白いのかもしれないけど
救いがない作品は救いがある作品より単純にすぎるんじゃないか。
アニメ版はそれほど救いがないってわけでもなかったけど。
僕はあんまり好きじゃないです。
後やくざのとか言われるほどやくざな感じでもなかった。多少不自然ではあったけど。

見終わった瞬間ゆかりんが流れてエンディングの微妙な気持ちが吹っ飛んでちゃんとした感想が書けない。
!が重なって記事がオシャレな感じ。
キーワードはリア充とルサンチマンかな。

あんまりいい言い方とは思えないけど
こういったリア充アニメを見ていると
ルサンチマンが溜まるのではないかと。
こういうアニメが流行るということは
アニメを見る層がこういうものを見ても
ルサンチマンが溜まらなくなったのかなと。
これはいわゆる根暗オタクからの脱却なのかなと。
思ったけど別にそう言うことでもない気がしてきた。

僕がけいおんを見てルサンチマンを溜めるのは
彼女らが充実してるからじゃなくて
音楽を通して自己を表現してるという点に対してのみで
これはむしろ自己表現の出来ない自分との葛藤や
たいした練習したわけでもないのに上手く演奏する才能に対しての嫉妬であり
自己表現が出来てる人や、そういうことを必要としない人にとっては
けいおんはルサンチマンの対象ではないのではないか。

例えば女子高つながりの女子高生(GIRLS-HIGH)や
音楽つながりのBECKあたりを見てもルサンチマンは感じないし
それは彼らが漫画のキャラだと無意識に自覚してるからじゃないか。
なのでけいおんのキャラに対しても漫画の中の人物だと意識してしまえば
ルサンチマンを感じることもなくなるだろう。

ではなぜ意識しないとけいおんが漫画であると認識できないのか。
つまるところはけいおんは日記のようなもので
盛り上がりにかけるというか
ストーリー性だとかドラマ性に欠けるからではないか。

それにしてもキャラの足のラインがきもい
シムーン見ました。
面白くなりそうな雰囲気がずっとしてたけど
雰囲気だけだった。

タイムパラドックスの話だけど
パラレルワールドが存在するとした場合
過去を改変したとしても自分のいる時間軸場では変化は起きない。
存在しない場合
時間移動をした本人は変化に気づくけど
時間移動してない人間は変化に気づくことは出来ない。
ということで
今まで咲かなかった花が咲いたとかというのはありえないと思うんですけど。

それはともかくとして
過去に行った2組は別々の場所に下りて
そこにそれぞれ国が出来て未来で戦争になるとか
そんな予感がします。
アニメのです。
無意味にグロいとかなんだかんだ言っておいて結局は思いの力で解決かよ。
とかはおいといて一つ疑問なのが
幻覚と同じようなものであるディソードがなぜ物質的な影響力を持つのかということ。
僕の認識ではディソードは持ち主の妄想をを他の人にも見せて
それが存在させると認識させているもので
物質化させているわけではない。
物質化させているのなら、わざわざ相手の脳内に幻覚を送り込む必要なんてないのだし。
思い込みで火傷をするとかあるから、人体を傷つけることができるのはいいとして
あくまで幻覚であるディソードでは機械を破壊するようなことは出来ないはず。
この現象が起こるには
そもそも物質は存在せず、すべては人々の認識によって世界が構築されていると考えなければいけない。
つまり、人々がここに機械があると認識しているから機械があるように見えるだけで
実際には機械なんてなくて
それ以前に地球や自身の体もなくて
人間は意識としての存在である
という世界観が必要なんじゃないか。
こうなるとバトルなんかは物質的にやりあっても意味がなく
いかに相手に自分の敗北を意識させるかの戦いになって
なんかよくわからんことになる。
よくわからん。
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